グロムって、なんでこんなに“いじりたくなる”んだろう
グロム──125ccのコンパクトなボディに、遊び心がギュッと詰まったバイク。
乗って楽しい、眺めて嬉しい、そして……
いじりたくてしょうがない。
ノーマルでも楽しい。でも、「ここだけ……」から始まる
グロムって、「改造してください」って顔してこっちを見るんですよね。
ノーマルでも充分楽しい。
でも、「マフラーくらい変えたいな……」って。
変えてみた結構かっこいい!!
でも、そこからが危ない。
ECUいじってみたいな…
カムも変えてみたい…
いや、ボアアップしてさ…
最終的には──フレームだけ残して、全バラの未来が見えてくる。
「手を入れたら最後だ」って、わかってる。
でも、やりたい。やらずにいられない。
グロムって、“いじりたい欲”を育ててくる、危ないやつだ。
それでも俺が踏みとどまってる理由
理由はただ一つ。
嫁に止められてる。
うちのグロム、通勤スペシャルとして活躍中。
「俺のバイク」だけど、「俺の自由にはならない」。
だから今、カスタム計画はすべて“心のガレージ”に眠ってる状態。
もう一台、買えばいいんじゃないか?
最近、真剣に考えてることがある。
「いじり用グロム、もう一台欲しい」
- 通勤用のノーマルグロム
- 遊び用のいじり倒しグロム
この2台体制なら、すべてが丸く収まる気がする。
でも、言えないんです。
たぶんまた嫁に言われる。「もったいないでしょ」って。
そして俺は、VTRにした。
実際、その「もったいない」に負けて──
じゃなかった、冷静に判断して俺はVTR250を選んだ。
でもこれが、すごく良い判断だったとも思ってる。
VTRという“理性の選択肢”
VTRって、真面目だけど地味じゃない。
エンジンの味、車体のバランス、整備性、スタイル……全部ちょうどいい。
「遊びたい」気持ちは満たしてくれるけど、暴走はしない。
情熱と理性のバランスが取れた相棒。──それがVTR。
だけど心のどこかに「グロム、いじりてぇな…」
正直、ずっと思ってる。
「グロム、やっぱりいじりてぇな……」
それでいいと思うんです。
バイクって、理屈だけじゃ語れない。
子どもはもう大きい。あとはタイミングだ。
「子どもが大きくなったら」とか、そういう話じゃない。
うちの子はもう大きい。
グロム増車に言い訳できる材料は、もうない。
いつか“俺だけのグロム”を
いつか、またグロムを迎える日が来たら──
今度こそ、俺だけのグロムを作りたい。
- マフラー変えて
- ECUいじって
- カムもボアもいって
- 止められてた分まで、全開で楽しむ。
そして夢は「化け物グロム」
どうせやるなら、とことんまで。
フルカスタムで“化け物グロム”を作りたい。
──きっとそこに、俺の“本気の遊び”がある気がするんです。
▼ まとめ:グロムは罪。でも最高のバイク。
グロムって、ほんと罪なバイクだ。
でも、それが最高なんだよな。